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渋谷にタイムスリップ

2020.11.03 お知らせ

こんにちは、桜十字渋谷バースクリニックの事務スタッフです。

当院(渋谷バースクリニック)のあるヒューリック渋谷公園通りビルは、渋谷駅から代々木公園に通じる公園通りに面したなだらかな坂の途中にあります。今では女性や若者に人気の街・渋谷ですが、どんな歴史があったのかすこし時代をさかのぼってタイムスリップしてみましょう。

渋沢栄一と五島慶太
渋谷発展の歴史は、新一万円札の肖像になる「日本資本主義の父」といわれる大実業家・渋沢栄一が、1918 年に主唱した田園都市構想がスタートです。その意志を継いだ東急グループの総統・五島慶太が鉄道と街づくりを進めてきました。渋沢の理想と五島の現実がなければ、今の渋谷駅の隆盛はないともいわれています。しかし商業地として発展した渋谷駅周辺も、第二次世界大戦では空襲により焼け野原となりました。今では渋谷の待ち合わせの代名詞となっているハチ公の銅像は、戦前の1934 年に設置されましたが、第二次世界大戦中の金属供出によって破壊され、戦後1948 年に再設置され現在まで親しまれています。

1964 年 東京オリンピックの開催に向け街が復興
渋谷駅には新宿御苑に水源を持ち東京湾に流れ込む渋谷川があります。東京オリンピックの開催に向け公共下水道の普及工事にともない、渋谷川はほとんどが地表から姿を消すことになりました。ところが、2018 年再開発として完成した渋谷ストリームでは、蓋をされていた渋谷川が現れ、水質改善とともに水際の遊歩道が整備されました。また戦後、米軍用地ワシントンハイツ(米軍将校の宿舎)として活用された一帯も東京オリンピック開催にともなう区画整備の対象となり、国立代々木競技場(第一体育館は水泳、第二体育館はバスケットボール)、
渋谷公会堂(ウエイトリフティング)、国際放送センター(後のNHK 放送センター)が建設されました。

1970 年代 若者ファッションの街
1970 年代に渋谷は「若者ファッションの街」というポジションを確立し、1980 年代、団塊ジュニアが巨大なボリュームとして街にあふれ、若者の中心であった新宿から渋谷に人の流れがはじまりました。
大量消費の時代が終わり、個人消費の時代へと様変わりしていく転換期に、時代の流れを読んだ堤清二率いる西武グループ(池袋を拠点)が、若者・女性をターゲットに満を持して渋谷に進出してきました。

1980 年 シブヤ・カルチャーの誕生
西武は、「不思議、大好き。」「おいしい生活」などのキャッチコピーを創った糸井重里らコピーライターを多用し斬新な広告宣伝で若者のハートに訴え、若者ファッションの街として洒落た新しい渋谷文化を形成しました。
まだインターネットが浸透していなかった時代です。企業は生活者目線での商品づくりと、それを伝える広告により、モノ(消費)が実現してくれるコト(消費)の豊かさや満足度やサービスを選んでいました。
一方、渋谷を本丸とした東急グループは、渋谷109、東急ハンズをオープンし対抗。西武はパルコを4棟展開しました。その後、東急と西武の陣取り合戦で渋谷には多種多様な商業施設ができることになり、結果、さらに多くの若者を呼び込むことにつながり街は活気づきました。
その象徴とされるパルコも建物の老朽化で取り壊しが決まり、2016 年閉館、2019 年には新生ランドマークとし
て未来志向型の渋谷PARCO が立ち上がりました。
渋谷には、こんな歴史があったのですね。

進化を続ける、“SHIBUYA”
時代は変わり、半世紀ぶり2回目の東京オリンピックを境に、再び渋谷の街は大きく変貌しようとしています。
IT 企業を渋谷に誘致し、日本版ビットバレーと称し街はさらに活気づき、駅周辺は高層ビル建設ラッシュです。
渋谷スクランブルスクエア(47 階)、渋谷ストリーム(35 階)、渋谷ソラスタ(21 階)、渋谷フクラス(18
階)他、30 階建ての高層ビルが複数建設される予定です。
スリバチの底にある渋谷駅は利用者の利便性優先で、乗り入れる全ての鉄道事業者は共同で工事を繰り返し
継続しています。

新たな歴史や文化がはじまる渋谷。
そんな将来がワクワクする街・渋谷に、当院はあります。